数学を万人に教えるべきか論争

こんにちは。トクイテンの森です。
現在、ロボット分野の二大国際会議の一つICRA(アイクラ:International Conference on Robotics and Automation)がアメリカのフィラデルフィアで開催中です。共著論文が発表されているので行きたい気持ちもあったのですが、トクイテンの開発を進めるためにお休みしました。twitterを見ていると楽しそうなデモもあり、羨ましいと思いつつ開発に勤しんでおります。
最近は基本的なロボットの動作プログラムができたので、大規模システムに対応したフレームワークにプログラムを載せ替えているところです。「〇〇ができるようになった!」というような進捗がなく、傍から見るとあまり面白くないかもしれませんが、そこはご了承ください。

数学を万人に教えるべきか論争

最近、衆議院議員の藤巻議員が三角関数より金融を教えるべきという主張を国会で行い炎上しました。議員曰く、三角関数は一部の専門家だけが学ぶべき知識であって高校で教える必要はなく、金融の知識を教えるべきとのことでした。
それに対する国側の答弁は高校で三角関数を学ぶ単元は必修単位ではなく選択単位であり、金融が単元に入っている政治経済は必修単位であるということでした。これで、この議員の教育制度についての勉強不足が露呈しただけでこの話題は尽きているとは思うのですが、思うところがあるので書いてみます。
ご本人も認めているように三角関数は役に立ちます。三角関数は「角度」の世界と「大きさ」の世界を繋ぐものです。我々のロボットも三角関数の勉強で出てくる余弦定理を使っていますし、逆三角関数も使っています。もう少し具体的に書くと、手の先をある点に移動させたいとなった時に、そのために必要な関節角度を求める問題を解こうとすると余弦定理と逆三角関数を使う必要が出てきます(ロボットの構造によっては三角関数で綺麗に解けない場合もありますが、その場合は線形代数などを駆使して、ある意味無理やり解きます)。
ただ、藤巻議員が国会でもtwitterで引き合いに出した例が「測量」だけだったのですが、それしか言えないというのは、やはり三角関数の効用をあまり理解していないのかなと思うところではあります。三角関数が本領を発揮するのは周期的な変化を伴うあらゆる現象で、電気電子工学・電磁気学・機械工学・制御工学・量子力学・信号処理など波の現象を扱う科学や技術には必須の数学になります。理由は角度は一周すると元に戻るからというのと、微積分の性質が良いということだと思いますが、18世紀後半からの成果が生かされているようです。
もっとも三角関数だけ知っていれば良いのではなくて、微積分や複素数などを組み合わせることで本領を発揮するのでハードルが高いかもしれません。実際の計算の中で三角関数が出てくるかどうかも大切ですが、基礎理論の中に三角関数が存在していてそれなしには技術が成り立っていないという形で「役に立っている」ということもあり、わかりづらさもあるかもしれません。
そういえば、機械学習には内積という概念が頻繁に出てきますが、これは二つのベクトルのコサイン(とそれぞれの絶対値の掛け算)を表現していることになります。これを利用すると、二つのベクトルの類似性を定義することにもなります。「役に立つ」例をあげようと思えば、どんどん増えていき収集がつかなくなります。
さて、問題はこれを万人に教えるかという問題です。この議員は「多くの人にとって三角関数よりも金融の知識の方が人生を生きていく上で大いに必要」ということなので、三角関数を教えないで空いた時間に金融の授業をやった方が良いということのようです。私個人としてはやはり三角関数は教えるべきだろうという考えです。むしろ、両方教えれば良いと思いますし、藤巻議員が現状のカリキュラムが不満ならば、大雑把な主張よりも指導要領の中身についての詳細な検討を行っていただくと建設的なのかなと思います。

教養と効用

大学で長く研究して学生と関わっていると、教育に関して考えることも多くなります。研究が進む学生を見ていると、一見関係なさそうなことも結びつけて処理しているようにも思います。特に研究のテーマを決めたり、優先順位を決める時にそれが顕著になるようです。自分の専門でなくても「概念・概要は理解している」「どこを見れば情報が書いてある」「誰に聞けば効率的に答えがわかる」などについて、「知っている」ことが重要です。つまり情報の「目次」がある状態です。しかし、知らないことをさらに知ることはできないので、最初はある程度は受動的に情報を吸収して少なくとも「目次」くらいは作っておく段階が必要なのではないかと思います。
この情報の目次があるということは、いわゆる教養があるということの一部なのでしょう。短期的な「効用」を求めて、最短距離で最低限の勉強だけで研究を進めようとする学生ほど行き詰まるようです。
数学でいうと概念を知り、理解していることは目次に当たるかもしれません。細かな技巧的な計算や証明ができないとしても、概念の理解ができていればキャッチアップは速い。ロボティクスを教えようとするときに三角関数から教えなければならないとなったら、絶望するしかないです。
目次を作るという意味では、理系の高校生にも古文や漢文も教えるべきなのだろうと思います。文法など細かい事項をどこまで教えるのかという問題はありますが、現代語訳でも良いので教えるべきだろうと思います。「役に立つ」という側面で言えば、国際交流には圧倒的に役立ちます。日本文化についてちょっとしたことを説明するだけで仲良くなれます。

教養が分野を繋ぐ

昨年、活版印刷の技術が導入される以前の日本語のくずし字を自動認識するアプリ「みを」が発表されました。この技術を開発したのはタイから日本の国文学(源氏物語)を研究するために来日されて早稲田大学で博士号をとられたカラーヌワット・タリンさんです。数学やプログラミングは日本にくる前から勉強されていたそうです。学位取得後は国立情報学研究所を経て、現在は東京にあるGoogleの研究所に所属しています。
これは、その場で使わない知識や技能でも幅広く学んで「目次」を作っていると「役に立つ」ことの例かもしれません。もちろん、活用できているということは「目次」だけでなく数学的内容の理解もされていたのだと思います。
このくずし字認識アプリを使って、埋もれている古文書の文章が読めるようになり、古文の知識を合わせれば日本の歴史研究が進展し、漫画やゲームの世界にも影響を与えるかもしれません(外交にも役立つかも?)。
逆にいうと、近視眼的に「役に立つ」ことばかり考えていると、役立たずになってしまう。示唆的な出来事だと思います。

まとめ

これ以上のカリキュラムの詳細は手に負えないので専門家に譲りますが、我々の文明や文化を支える知識や技能を教えることを諦めてはいけないのだと思います。もちろん、私自身もさらに学んでいきます。
参考